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suzuki tomonori

鈴木大孝

1977年6月20日。両親は青森県津軽地方出身。私は埼玉県で生まれ、狭山茶の畑が広がる埼玉県入間市で、高校卒業までの18年間を過ごす。高校卒業後東京で9年間、根性なしで忍耐なしのうえに飽き性の性格のおかげで多種多様の業態の飲食業界で修業を積む。27歳のとき、友人のお店を手伝うため広島県福山市に下着7枚だけ持ってやってくる。そのまま働くうちで福山に永住を決意するとともに結婚し水呑町にマイホームを購入する。2011年3月、東日本大震災を目の当たりにし、始めて自分の人生と向き合い、『いい人も、幸せな人もそうでない人も何も関係なく人は死んでしまう、、、人生楽しまなければもったいない!申し訳ない!』そう思い、独立開業を決意し同年12月に「水呑CaféBoneu 」をオープンする。2012年に子供が生まれてくれて親となる。2014年1月には姉妹店「Cafe&Zakka 零和Kobonago 」をオープンする。2015年よりお弁当販売事業を本格的にスタート。おかわり①もよろしければ↓↓↓

水呑Cafe Bonue suzuki tomonori

ミノミカフェボヌー スズキ トモノリ 


自己紹介: 

 生年月日: 1977年6月20日

 名前   : 鈴木大孝 (男)
  出身地   : 埼玉県入間市牛沢町

  居住地   : 広島県福山市水呑町

  ルーツ    : 青森県津軽地方


フェイスブック 

水呑Cafe Bonue facebookオフィシャルページ

零和Kobonago facebookオフィシャルページ


 職業: 水呑cafe Boneu オーナー

 広島県福山市水呑町に 『水呑cafe Boneu』 を2011年12月オープン。2014年1月には、住宅展示場内のモデルハウス内に雑貨とCafeを併設した姉妹店『零和Kobonago』もオープン。

好きな本:

  司馬遼太郎さんの本全般。
好きな言葉:
"おもしろき、事もなき世を、おもしろく”

プロフィールおかわり

プロフィールおかわり①

青森出身の両親の間に男三人兄弟の末っ子として生まれました。小学生時代はサッカー大好き給食大好き勉強興味ない(笑)な少年でした。休み時間のサッカーと給食を楽しみに小学校には通って行っていたと思います。両親が青森の出身だったこともあり夏休期間中ずっと青森で過ごしたりもしていました。なので東北弁はヒアリングなら多少イケますww。今思えば東北の地での生活は本当に貴重だったと西日本の広島県福山に住み、より思うようになりました。文化、食文化などはやはり住んでみなければわからない部分が多いと思います。青森県津軽地方の食で今でも忘れられない『すしこ』や『ホッケの煮つけ』『じゃっぱじる』などなど、特にすしこはとても懐かしくまた興味深いです。親戚のおばちゃんが作るその味は特別おいしくて(少年時代は苦手でしたが)、マネ出来るものではなくて、、でも今はもう二度と食べれなくなってしまいました。なつかしいばかりです、、、。小学生時代はまあまあ目立ちたがり屋なほうだったのかなともいます。6年生の時には運動会の応援団長などもしてみたり(じゃんけんで負けただけですがw)教室で人を笑わせたり、隣に座った女子の成績を下げるくらい話しかけたりする子でした(笑)すみませんでしたw。小学校は入間市立黒須小学校。自宅から歩いて30分ほどの距離でした。生まれた町は入間市の牛沢町、牛沢って(笑)。最寄りの駅は西武池袋線仏子駅、仏子と書いて(ぶし)と読みます。仏子って(笑)。牛沢町は入間市の中でのなかなかの自然地帯でしたのでファミコンが大流行の時代ではありましたが、外の遊びの魅力の方が勝っていたのと、ちょうど同世代の子供たちが多かった(いわゆる団塊ジュニア世代)ので、外でみんなで遊ぶことの方が多かったです。今でも懐かしく思い出すのが、『ターザン』遊び、山に登って条件のいい蔓(つる)を見つけ、のこぎりでギコギコ。安全確認したらあーああーとばかりにターザン(笑)。いくつか受け継がれた名所があり、リアルに降りたら死ぬであろうターザン場や、ターザンして戻ってくるときにうまくキックで交わさないと木に激突してしまうポイントなど、、ああ、なつかしや(笑)。落ちたら死んでしまうであろうポイントなどには上級生しか行ってはいけなかったりして、自然と上下関係や力関係がそのころ身についたのではと思ってみたりwwそんな少年時代でした。

プロフィールおかわり②

忘れもしない、小学2年生の夏休み。あっ!また小学生時代ですが(笑)、、。母の実家の青森県木造に一ヶ月過ごしました。母の実家は商売をしておりまして、食料品などが一通りおいてある、今でいえばコンビニwwもちろん駄菓子も置いてある。小学2年生の私にとってはパラダイスwそうまさに楽園での1か月。毎日ポテトチップスやアイスを食べてましたし、スイカも一日1/2個は食べてましたねww。この一か月間は2歳年上の兄と二人で行ってましたから、両親も一番上の兄も埼玉でした。後から聞いたのですが長男が受験勉強に集中したいから青森に飛ばされたのです(笑)w。そんな1か月の結果は、、、!!激太りしてました!!私本人はもちろんずっと一緒にいた兄も親戚のおじさんもおばさんも従妹のお姉さんもずっと一緒にいたので気付かず、、埼玉に帰ったその日母親がびっくりした顔の後、大笑い、、、。忘れませんよ、あの日は。ショックでした、、私はそれまで結構足が速い子でした。小学1年生で50メートル9.2秒で走ってましたから(覚えてるってw)、なかなか早かったのですが、太りました、、、。小学生の頃ってとにかく足が速いっていうのはモテるんです。いや、モテました(笑)小学2年生の夏までは(笑)。もうですね、20年くらい後悔してました、あぁあのとき太らなかったらって、、後悔しましたね~長いこと、、なんなら今も(笑)。そんなんで、私の小学校生活はちょっとぽっちゃりな思い出なのですww。小学5,6年生の時にはいわゆる学級崩壊のクラスでした、とにかく授業がまともに出来ない、掃除の時間はかくれんぼ、休み時間は隣の怖い先生に怒られないといつまでも教室に帰らない、そんなクラスでした。他人事でなく私がそうでした。深刻な問題だとは私たちは思ってませんでしたし、ただ楽しんでました。時代のせいや、子供だったからではなく、とにかく悪かったなと反省しています。先生にも申し訳なかったと、それに真面目に授業を受けたい同級生には申し訳ない気持ちです。ただ、もしタイムスリップしてその時代に今私が行ったのなら、自分にではなく担任の先生にひとこと言ってやりたいって思いです。申し訳ない思いはもちろんめちゃくちゃした張本人ですからあります。ただ、いま大人となった私がその当時に戻れるのなら「先生しっかりせいっ!」って、周りの先生助けてやれよって、校長先生これはいち先生の問題じゃないんじゃないのって、そういいたい。自分を棚に上げてるけど。そんな時代を、そんな教育環境で育った私たち世代がいま子育てをしてます。頑張ります。ちなみにちょっとぽっちょりでしたが背は昔から高かったです。

プロフィールおかわり③

小学生時代、、うそうそ(笑)いつまでも小学生時代書いてても進まないのでww、このプロフィールおかわりは私がどんな想いでお店をしているかっていうのを語りたくて書き始めました、そしたらとにかく私っていう人間がどんな経験をしてどんな過去を持って今に至るのかをとにかく思うままに書き残そうと思ったのです。本題は18歳で社会に出たところから、社会にもまれもがいて今いたるまでを書きたかったのです、、、が、その前にww中学生時代。私にとって何とも苦い時期、、小学生時代の少年サッカーからそのままサッカー部に、弱いながらもレギュラーでやってました。でも、私にとってこの時期の記憶はとにかくつらい記憶、いや、大したことではないんですが、思春期の私にとってはとにかくしんどたかった時期。「あがり症」になってしまったのです、、ほんとにしょうもないことなんですが(笑)中学入学してクラス内での自己紹介のあとに女子に指摘されたのです、「すごくあがってたよ」って、その瞬間から私の中学生生活は最悪でした、授業の発表とか。特につらかったのは笛のテスト、みんなの前で笛を吹くなんて、、、もうアウト、、。もう息も手も足も震えて目の前が真っ白、、本気で学校行くのやめようって思ってました。、、今書きながら思うのですがほんとにどうでもいいこと書いてるなって思います(笑)。まあ、思春期だったってことです。とはいえ、いま料理人をしている理由としてこんなあがり症では、人前に出る仕事はできないって思って選んだところもあったので、まあ、いいかw。そんな時期でした。小学校と違って中学校では勉強をちゃんとしないといけなくて(小学校もですか??)、小学校で全然勉強をしなかった私は当然落ちこぼれ、それでも英語の授業ならみんなスタートラインが一緒だからと思いまして、英語の最初の授業の日、結構気合を入れて挑みましたwでもですよ、どんでもない、塾ってものがありまして、みんな塾で英語の勉強してたんですww全然スタートライン一緒じゃないじゃん!(笑)。でもですよ、公立の学校で、始めての英語の授業なんだからそりゃみんな知らないって形で授業を始めるべきって思ったのですが、塾で勉強している人中心の授業の運び、、それでわたしは「あっ頭キター!!」ってやる気なくして授業中に三国志の小説毎日読んでました。「周瑜伝」とかよんでました(笑)。これは私の自滅型抵抗だったのですが、もちろん自滅しました(笑)英語の成績は悪いうえに、先生の怒りを買い(当然ですが)「あなたの態度には目に余るものがりますっ!!」っといわれ(ちなみになるほどザワールドの楠田枝里子みたいな髪型の女の先生です)、ものすごい量の課題を出され、出さなければ成績に1をつけると、、「ちきしょう!!上等だっ!やりあがれ!」、、といわないところが私のいいところで、粛々と課題をさせていただきました(笑)。おかげさまで何とか公立の高校に進学できました。

プロフィールおかわり④

高校生の時にはバスケ部に入部しました。1年ちょっとでやめましたけど、、、今思えばここで、逃げ癖がついてしまったのかもしれない、、。その後社会人になってつらさから逃げることばっかりしてましたから、ここに書くのも恥ずかしいですが、事実私の弱いところです。高校では笛の発表とか授業でもみんなの前で何かを読むとか発表とかは少なかったので、中学生の時になったあがり症もだいぶ楽になりましたね。部活をやめてからはほぼ毎日アルバイトをしてました。スーパーの青果部門で約2年ほど働きました、飲食業を生涯の仕事にすると思っていたわけではなかったのですが、今となれば、野菜や果物などの旬や価格などなんとなくではありますがこのアルバイトで覚えることができました。学校が終わってからなので、確か5時とか6時くらいから働いていたと思います。高校生の時にはスキーにはまっていたのでアルバイトの給料の使い道は全額スキーにあてました(笑)楽しかったですね~wスキーwもう怪我をしそうなんでしませんけど(笑)そんな高校時代。正直青春というかなんというか、そんなのとはほんとに無縁でし、、、今思い出してもあまり楽しんでなかったなと思います。おかわり③では書き忘れましたが中学校はめちゃめちゃ荒れてたんです。もうビーバップかスクールウォーズかってくらい。でも、小学校の時に結構好きなことしてたせいか正直中学校でやんちゃする気になれなかったし、根が真面目なんでしょうねえwwで!高校は昔は荒れてた学校で有名だったのですが私が通う頃はもう普通の学校でしたから私も普通にしてたといった感じでした。勉強は相変わらず嫌いでしたから大学進学なんて選択肢はまったくありませんっでしたから、早く働きたくて仕方なかったです。でも、何をしたいとか、夢とか、ビジョンもなにもなくて、就職活動の時に考えたのは、「学がないのだから、職人だな」って、で、職人っていったら、料理人か鳶職ってイメージしかなくて、家で母親の料理を手伝ったりするのがほんの少し好きだったような~~、、みたいな強引な動機を見つけて、料理人の就職口を探しましたね。。そしてありがたいことに採用してくもらえまして、わりと大きめの居酒屋チェーン店に就職しました。

プロフィールおかわり⑤

やっと本題といいますか、社会人になってのわたし(笑)。就職先は大手居酒屋、株式会社庄。(一応なぜか名前は伏せてイニシャルw)何かしたいとか、どうしたいってのが全くなくただ、料理人の仕事って探し方していた時に、「労働省認可の学校を運営」とあり、一年間学校に半日通って、半日仕事っていうシステムにひかれて決めました。本社が東京都大田区の大森にあって、学校もその近く、、、確か、、。南武線の武蔵小杉だったか武蔵新城の寮に入りました。新入社員研修の最終日近くに希望の店舗業態を聞かれて、、たしかぁ選択肢は一番多い海鮮居酒屋D庄か串専門店か刺身居酒屋かいくつかあったと記憶していたのですが、人事の担当の方が、「刺身居酒屋でいままで新入社員で1年続いた人はいない」って言った瞬間、ハイそこに行きますって!!!言ってました。、、もうね、なんなんですかね??自分ではっきり言えますけど、人より根性ないし、忍耐とか、器用なわけでもないのですが、その時、なぜか自信ていうか、やってやる的なのは人一倍あったのです。もちろん、そのやる気って大切だと思うし、かっこいいと思うんですけどね。それにはひとつ、条件があると思うんです。それは、実際にやり抜くこと!先に言いますと私はこの会社、その刺身居酒屋を半年でやめました。もう泣きながら逃げ出しました(笑)。やり抜くことできないのにかっこつけてやりますってめっちゃかっこ悪っ!!今は笑えます。。。午前中は学校に通って夕方から配属された店舗に入り実労働ってシステム。でも現実、店舗としては人件費を一人分払いつつ半日しか働かない、しかも高卒の新社会人を迎えるってことで、歓迎されないんです。それはすぐにわかりました。なんでかって言うと、「学校早くやめろ」って優しく言われるから。わかりますけどね、店舗としてはしんどいばっかりですから。でも会社の方針に逆らうわけにはいかないので、もちろん。。。なので、自分の意向で学校をやめて現場で一日働きたいですって言わせるって感じで。私はまんまと(笑)先輩にこれ以上負担をかけてはいけないって学校やめました(笑)。で、いよいよ晴れて新社会人ですって気持ちで働いたのですが、、、きつかった―、もう何もかも。子供だったのです。すべてがきつかった。それでも、先輩に「絶対に泣かす」っていわれたときも。「はぁ??泣くかぁ!!」ってかなり気合は入っていたのですが、、御存じと思いますがなかなかバイオレンスな業態ですので、心身ともにきつかったです。細かいエピソードはさすがに書けませんが(笑)で、先輩のご希望どおり、ある時、泣きました。自分でもびっくりするくらい、涙が止まらない、、先輩に投げつけられた財布(先輩の)中身を拾っていたら涙が出て止まらなくなってしまってて、、情けなさと、口惜しさだったのかな?まあそれでも少しばかりの根性でつなぎとめていたのですが、ある朝、電車からお店の最寄りの駅で降りれなくなって、店長に「もういけません」って泣きながら電話しました。過去って素敵ですね、こうして話せる。でもこの話10年はあまり人に言えなかった。そりゃそうです。なさけない100%の話なんで(笑)どう自分を弁護しようとしてもできない情けなさw。そんなこんなで私は半年で泣きながら最初の会社を逃げ出したというレッテルをゲットできました。

プロフィールおかわり⑥

最初に就職した会社を半年で逃げだしたってレッテルを張りながら次のステップへと進むのですがその前に、初めて社会人になるにあたって、もう一ついい経験をしていたのです。最初の会社では寮に入っていたのですが、持って行ったのは布団と最低限の生活用品。会社は飲食店ですから賄が出ますので寮にはキッチンはなかったですし、トイレも共同ですからいわゆる4畳ひと間です。そんな新生活の中で私はがっつりテレビっ子世代でしたから、夜帰っても休みもテレビが恋しくなるわけです。あっ!ちなみにそれは新入社員研修の1ヶ月ぐらいの期間の話、現場に入ったらもう寝るだけ、風呂入って寝るだけでした(笑)。で、研修中は夜とか結構時間あって、休みの日とか暇で、、そんな時[コンコンコンッ]って扉をノックされて、、だれかな??と出てみると、、、セールスマンでした。ビクターの。結論から申しますと、30万円のローンを組んでテレビとビデオとMDコンポを買いました。やたらでかいテレビとすごく性能がいいであろうビデオととてもいい音を奏でるであろうコンポ、、、。そう!私は、半年で仕事を逃げ出して、30万円の借金とでかいテレビとビデオ、コンポを手に入れました(笑)wwでも、この経験はほんとによかったって思ってます。いわゆる勧誘とか言ったものに対しての免疫もできたし、身の丈に合った買い物をしようって決めましたし(笑)、何より、働いてお金返さないといけないって当たり前のことに向き合わせてくれたんでwwとても感謝してますビクターの営業マン様。。

プロフィールおかわり⑦

というわけで、私は半年で会社を退社しました。とにかくつらいだけだやめてしまったので、自分が情けなくて、料理の世界が怖くて。一度実家に帰ってフリーターを1年半くらいしてました。私の人生で最高にネガティブな時期でしたね。自分が嫌いで情けなくて、でも何したらいいかもわからなくて不安で、、、でもなぜだか飲食業界で働いてました。好きだったからじゃなくて、いやむしろッ怖くてやだっやのですが、ほかに選択肢を見つけられなかっただけだと思うのですが、ずっと飲食業で働いてました。とにかく毎日ネガティブにすごして1年くらいたったときかな??ふと思ったのです。「こんな自分ほんとに、やだな、こんな自分を誰が認めてくれるのか好きになってくれるのか、いるわけない、、なら、自分くらいは自分のこと好きにならなきゃ」って。こんな自分を好きになれるのは自分くらいだなって。なんかそう思ったら少し上を向いてました。とはいえ、急に状況も自分も変われない。弱い自分も、ダメな過去も、でも何とか自分を好きになる方法を考えてたら、浮かんだんです!!アイデアが!!ww。「学校行こうっ」って。もう一度学校に入って卒業してそれで晴れて新社会人を仕切りなおそうって。そう考えました。いいアイデアでしょ??(笑)。それでやっぱり料理しか考えられずに(笑)調理学校を探しました。流石に親にお金を払ってもらうわけにはいかないので、夜間の一番学費が安い学校を探しました。いろいろな条件が合ったので新宿調理専門学校に決めました。目標を決めるのってほんとに大切ですね。この時の私の目標は「学校を卒業してもう一度新社会人になる」ことでした。もう、やることは単純明快とにかく働きました。まずは入学金と1年目の学費を稼がないといけなかったので、アルバイトは3つ掛け持ちして3か月は休みなしで働きました。3か月後に倒れたのですが(笑)でも、入学までに何とか用意できて、はいれましたよw新宿調理専門学校~~~ww学校は一年半でしたので残りの学費を学校通いながら稼いだのですが、実家から通っていては時間がもったいないので、親戚の、つてで、下宿させてもらえるところが見つかって、京王線のつつじヶ丘って駅から通うようにしたのです。卒業自体が目的だったので、授業はほとんど寝てました(笑)でもそれでいいって思ってましたからw安くない学費をもったいないとは思いませんでした。だって、卒業自体が目的だったしもっと言えば「今から新社会人です」って言えればそれでよかった。過去を消せればよかったのでね。

プロフィールおかわり⑧

新宿調理専門学校は西新宿のアイランドタワーの別館にあり、いわゆる新宿オフィス街のど真ん中!高層ビル群の高さにビビりました(笑)、学校は夜間でしたので夜の18:30~21:00まで、、(確か)だったと思います。この夜間学校の同級生は10代から50代までほんとに年齢層も目的もバラバラ、私はこの時まだ二十歳でしたから若い方でした。大体の人はサラリーマンをしながら次のステップを考えて夜、残業は断り学校に通っていたと思います。今考えるとすごいなーって思います。で、私は次の学費と、安いとはいえ下宿代と生活費のためやはりアルバイトを探すのですが、学校に近くてしかも深夜帯のアルバイトにしようと考え(時給が高いので)見つけたのが、私の人生の大切なター二ングポイント①となった「ロイヤルホスト」です。夜の10時~翌朝の7時までの深夜アルバイト。時給もいいですし学校からも近い(ほんとにすぐ近く)さらに、オープンスタッフ募集でしたのでなんだかいいなと、、でも、その時接客係りでやろうってなんとなく思い、キッチンスタッフではなくサービススタッフで面接に行き採用していただきました。最初の仕事を辞めてからうだうだと働いてた時も、学校に通うためにめちゃくちゃに働いてた時もずっと料理人、厨房スタッフで働いていたのですが、学校でも料理の勉強をするわけだし、サービスしよっwって何となしにそうしたのです。オープニングスタッフとして沢山の仲間と一緒にトレーニングをしてオープンをむかえるまで、ほんとに楽しかったwほんとに!!多分初めて仕事が楽しかった。同じスタートラインの仲間と一緒にオープンの喜びを共有できたあの体験はほんとに今でも私の大切な思い出です。私が働いたロイヤルホスト、正確には「ザ・ロイヤルホスト&ステーキハウス」でした。本店です。それまでロイヤルホストには本店という店舗はなく(しいて言えば桜新町?)この時一階はロイヤルホスト2階は本格アメリカンステーキハウスというスタイルの店舗。かっこよかったですよwここで言っておきますが、私はロイヤルホストを愛してます。めちゃめちゃ好きです。ロイヤルの経営基本理念は今でも暗唱できます(笑)すごく影響を受けたし楽しかった。そして、私の今も大切な人に出会ったのです。その人はステーキハウスの副店長としてオープンして少し後に来たのですが、その人には仕事中もプライベートでもたくさんの学びをいただきました。あのタイミングでその人に会わなければ、私は飲食業にはいなかったのかもしれません。とにかく感謝してます。ありがとうございます。今でも連絡は取ったりしますし私の結婚式にも来ていただきました。過去を振り返ると、人生は出会いがあり、その出会いで人生は決まっていくって思います。もちろん本質というか自分自身って生まれたときから変わらずにいただいてきたもので生かされてるって思うのですが、きっと、その自分の中に宿る熱いものに気付かせてくれるきっかけって人との出会いだなって、振り返ると思う。そう思って振り返ってみると出会いって必然だなと思うのです。